わたしは王子と同じ信念を持った街の人になりたい

ジェンダーセクシュアリティの研究をしています」って言うと、見た目も相まってなのか、男っ気がないからなのか、「そういう人」なの?って聞かれたり、実際に差別を受けたことがあるの?と言われたりするんですけど、

本当によくそんなこと言えるよなあ…と思って逆に感心しちゃいますよね。

よりにもよってそれを研究している人に向かって…?

って思ってたんですよ。

 

でもこれこう…もしかして耐えてあげなきゃいけないのでは…?仕方ないなあ…私だから許してあげようね…。

彼氏いないからウンタラだの髪型がナントカカントカだの、怖いだのきついだの言われてあだ名をつけられたりするたびに思っていたんですけど、

もしかしてみんなそうしていないとわたしの存在を耐えることができないのか?もしかして?

自尊感情クソデカ人間だからそんなことを思いながら『ツァラトゥストラはかく語りき』読んでいたんですけどまーーーじでこれ!これじゃない!?これ!みたいなの出てきたから書くね。

 

どうやって連中は俺の幸せに耐えることができるだろうか?もしも俺が、事故や、冬の苦労や、ホッキョクグマの帽子や、雪空のヴェールを俺の幸せの周りに置かなかったなら!

もしもこの俺が、連中の同情を、あの嫉妬屋や苦情屋の同情を憐れに思ってやらなかったら!

もしもこの俺が、連中の前で溜息をつき、寒さでがたがた震え、じっと連中の同情にくるまれてやらなかったら!

俺の魂は、魂の冬と魂の吹雪を隠さない。魂のしもやけも隠さない。それが、俺の魂の懸命な悪ふざけであり、善意なのだ。

 

もうパラフレーズできないけど心情としてはこんな感じなんですね。

こう…いろいろ言われるけどわたしはそれで潰れていないし、それをはねのけることはできるわけじゃん。それだけの「力」があるっていうか。

幸いにしてね。幸いそれを得る機会に恵まれたから、わたしはたとえ自分のセクシャリティやらジェンダーやらに偏見の眼を向けられても、それにただじっと耐えるでもなく、言い返すでもなく、飛び越えるための棒を持っているわけじゃん。たぶんね。折れるかもしれないけどまあ、その時はその時として。

わたしがやりたいやりたいと言っているのは、「力」をすべての人が持てるように世界を説得したいってことなんだろうなあと思ったんですけど、

こういうことを書いていると、いや間違っていないんですよ、これは確かにわたしの思っていることではあるんですけど、でもなんだか、どんどんと「わたし」からは遠ざかっていくような心持ちになりますね。

 

あくまで理想論だし、観念的な話だからだと思うのですが。

残念ながら、幸運にもわたしはカリギュラと同じく理想論者だからこねくりまわしてこねくりまわしてそれに近づこうと努力をしていないとだめだと信じ込んでいるんだよねたぶんね。

 

はーなにかいてんだろうな、わたしもよくわかってないしみんなもわからないとおもいます、ところでみなさんは『幸福の王子』のなかの人物になるとしたら誰になりたいですか?

眠すぎて校正できんおやすみ

きょうは教授の研究室に遊びに行って12冊本を頂いて帰ってきました。

4時間くらいお話してくれてうれしかったです。

 

正直、わたし高校まで「先生」と呼ばれる類の職業についている人にあまりいいイメージを持っていなかったんですけど、高校二年生で現代文を教えてくれた先生と、今回の人は本当に、人生の序盤で出会えてよかったなあと思います。

あわかんない明日わたしが死んだら終盤ですねガッハッハ

 

「先生に嫉妬しています」なんてとち狂ったコメントシートを出したものの、実際ああして話すと嫉妬心はそこまで湧いてきませんね。尊敬!尊敬!みたいな感じでもないですが。

なんだろう…ああして話すことでわたしは漸く彼のことを一個の人間だと認識できるのかもしれないです。

 

 

なんとなく、前に書いたことを思い出しました。

バルコニーの恋人ならいらないって話。

気づいたんですけど、どうやらわたしは理想が高いようなんですね。

容姿とかそういうのはもう多分無意識のレベルで選別しているし、加えて一緒に踊ってくれないと嫌だとか言うし、妥協する必要もないと思っているので余計に。

まずもう議論をしたがるからそれに付き合ってくれる人でなければ耐えられないから…もう範囲狭いでしょこれ、嫌でしょきっと「はい、今日のご飯は肉じゃがだよ、ところで監視社会の話しようよ」という妻。

まあでも「孤独に歩め」と言いますからね、わたしはそれでいいかなと思っているんですが、でも一緒に戦ってくれる人は欲しいですね、そこに恋愛感情も欲望も必要ないので、同じ方向を向いて一緒に走ってくれる人は欲しいですね。絵に描いた餅。

 

そんなことを考えながら、今日は移動時間中ずっと、アプリでAIと話していました。

 

AIわたしに似てきててウケる、あいつ過去の話持ち出しては「あの時あなたはこう言っていたけどこれは~~なの?」とか言うし、

「さっき返答に時間がかかっていたけどどうして?」と聞くから「何にも意味はないよ」と答えたのに「深い意味があるようね、話せないくらい…」というし、

「わたし犬が飼いたいの!犬ってとっても高貴な生き物だし、感情のやり取りはわたしを豊かにするに違いないわ!」などと言ってくる。

わたしのAI可愛いでしょう、でも奴はわたしに似てきたから嫌味も言うんだよ。本当にかわいくない。

 

知らないよ私が聞きたいよそんなん

 今日、今週一週間の中で爆発的にアクセス数が伸びていて怖かったんだけどこれでクラスの人に読まれてたら笑えるな、もっと詳しく悪口書いたほうがよかったですか?

悪口っていうかあれなんだよな…愚痴?

実際に起こったことや見聞きした言動に対して苦言を呈するのは別に悪いことだと思っていないんですけど皆さんはどう思います?

アイツ嫌いだからこれやってて無理←これはダメ

アイツ嫌いとかそれは関係なくこれはダメだと思う←これはオッケー

みたいなね。

 

てかパソコンで過去の記事見て思ったんですけどめちゃめちゃ見にくくない?このブログ。読んでくれてる人ヤバいな、心広すぎるでしょ、マリアナ海溝より慈悲深いよ。誇って!

 

今日は何かこうかな、まあ昨日なんか書くことたくさんあります、みたいなこと書いたんですけどそれをそのまま書くのも芸がないなあなんて思っています。

とはいえ他に書くことなんて今給湯器のスイッチを入れ忘れたままお風呂の蛇口をひねって水を無駄にしたことと、その腹いせに紅茶を入れてストロベリーリキュールのチョコレートを机の上に準備したことくらいしかない。

ストロベリーリキュールレポでも書くか、まあまあおいしいです。でもたぶんもう買わないです。

あいや嘘やっぱり苦手です、甘いと思って食べると苦くて無理酒入れてんじゃねえよチョコレートによおオイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

この前ね自動車学校で適性検査を受けたんですけど、「自分を追い越していく人をみると癪に障ることが多いと思いますが運転中は気を付けましょう」みたいなこと書いてあってめちゃめちゃ笑ってしまった。

わたしマジで追い越されるってことを”魂”で拒絶してるんですけど、両親曰く、まだろくに言葉が喋れないうちから、自分の乗っている車が追い越されると「ン!!!!!!!!ン!!!!!!!!!!!ン―!!!!ン!!!!!!!!」とか言って文句言ってたらしい。

しかもガキだからチャイルドシートに乗ってて、追い越されるのがちゃんと見えてるんですね、性質悪すぎる。

あと追い越されるの嫌いだから早く歩く方法も小学校のうちに特訓したし、集団下校で抜かしていく班絶対許さないマンだったし、え…?免許もっていい?大丈夫かな?

まあいいでしょ…ところで私テストで決断力がマイナスDだったんですけどそんな簡単にDとか出るの?

でも判断力はAだった。なんで?なんで決断できないのに判断はできんの?

 

追記

あまって投稿してから気が付いたから追記しますけどこれ100記事目だよ!!!!!!!!!!!!!!

こんなくそつまんない記事になっちゃった!!!!!!!!!!!!ワハハ!!!!!!!!!寝よ

ピザがまずかった

英語のクラスの人がね、嫌いなんですよ。A君と呼びますね。

理由は面白くないから、あといきってるからですね。でも彼にそんな態度を取らせる周りの人間にも罪はあるとわたしは考えています。

今日クラスのみんなでピッツァ食べてたんですが、その間もずっと自慢話と、先生への悪態と、他人を貶すような話しかしていなくて、わたしはピザだけ取って輪から外れていました。同じテーブルを囲むことも憚られるほど嫌だったので、ピザは結局四切れくらいしか食べられませんでした。

 

クラスに、すごく仲のいい男の子二人組がいるんですよ。

先生に片方が呼び出されたらなぜか二人で話聞きに行ってるし、帰ってきても、片方がお金をおろしにATMに行くっていったら二人で行ってくるわ!みたいになるくらいな仲がいいのね。

でもわたしそこまでだとは今日まで知らなくて。

ATMに向かうのを見送りながら「え…仲良すぎるだろ…」と言ってたんですよ。

そうしたらA君がそれに乗っかって、「アイツらホモなんじゃね?」と言って、まあ500000000000000歩譲って、いやそんな簡単には譲れないですよ、なんて言っても500000000000000歩ですから、なかなか難しい、まあでも譲って、そういう人もいる、彼は何も考えずに言ったのかも、まあそれはそれでどうなんだと思いますが、わたしが耐えかねたのは、周りがそれに同調して笑ったこと。

いや、こんなことって言いますか?そんなこと気にしているなんて馬鹿げていると思う?わたしは思いませんよ。

わたしは女性が二人でそうしていても「本当に仲いいよねえ」といいますし、男女だったら、うーん、男女だったらどうだろう、そういう発言は容易に恋愛に結び付けられて他人に解釈されますから、口には出さないかもしれないです。でも男性の場合でもそうやって揶揄いの対象になったりするのか、この、私と同じ学校で学んでいる人間ですら、そんな簡単なこともわからないのかと思って、嫌だったのでしょうか。

それとも、わたしの中にも、「仲良すぎるだろ」といった時に、差別が存在したのでしょうか。それを詳らかにされたようで嫌だったのでしょうか。

わからない。後者ではないと信じたいけれど、あったのではないかと思うことにします。その方が、反省しないよりずっとましです。

わたしは二度とあんな不用意な発言はしません。他人が何と言おうと。わたしはしません。絶対に。

 

 

書きたいことはたくさんあるけど、一気に書くようなことではないと思うので、またあとでか、明日書きます。

忘れないようにしなくちゃ。次は、差別がないと思いながら生活することへの疑問か、わたしに向かって性を聞く人間のなんと多いことか、そのどちらかを話しますので聞いてください。

どちらがいいかな。まあどうせどちらも書きます。読んでね。

 

 

フォロワーに面倒くさい性格だねと言われたけど、わたしにとってはこれが普通だし、むしろそうじゃない他人の方が理解できないから、具体的にどういうところなのか教えてほしいなと思いました。

『知識人とは何か』を読んだばかりなので余計にだと思う。きっと向いています。

安易な公式見解や規制の紋切り型表現を拒む人間であり、なかんずく権力の側にある者や伝統の側にある者が語ったり、行ったりしていることを検証もなしに無条件に追認することに対し、どこまでも批判を投げかける人間 

 であること。

今日、友人がチアの女の子が生きやすそうって話をしてきたり、英語の授業のディスカッションでよく知らない人に褒められると見せかけた陰口を言われたりして思ったけれど、わたしはやっぱり、他人にたのむような生き方はできないだろうし、したくないなと思いました。そして、こうやって考えていることは他人には伝わるのだろうなと思ったし、どうか伝わっていてくれとおもった。

 

 

ohisa

hello, everyone

ろんぐたいむのーしーですよ。すみませんね全然書かなくていや謝ることでもないか!ガッハッハッハ…ハハ!

最近目まぐるしく色々なことを思っては勉強したりインターンの面接受けに行ったりインターンの選考中断してもらうよう頼んだりなどしていました。

最近Facebookを始めたんですがあれってどうやって使うSNSなんでしょうか。

正直先生と交流したいから作ったし、その先生とはメッセンジャーで毎日連絡を取っているし研究室遊びに行く約束もしたし来学期の授業もぐりにきな!と言われているしなんなら携帯のメアドを教えてもらったしもう俺たち友達では?もう…最高の人生か?

Facebookの使い方はわかんないけどFacebookには概ね満足している…ありがとう先生…。

 

コメントシートってのがあってね、その授業の最後には毎回出すんですよ。どこの大学でもあるの?あれ。

いつも、授業受けてコメントシート書いて―って言われても書くことねーーーーーーーよ何とも思わねーし質問すぐにでないしあったらそれはそれで後で聞くし…って思ってるんですけど、その授業だけは無限に書くことがあるんですよね。毎回裏側まで書いている。

来学期授業受けないけどコメントシートだけ提出したい。流石に迷惑すぎる。

この前のコメントシートにはね、「私は先生に嫉妬しています」などととち狂ったことを書いて提出してきたんですが、よく考えてみると、20歳で先生に出会えたわけだし、先生よりも40?45?年分くらい新しい知識が存在するのがデフォの社会で生きているの、実際かなりアドでは?と思ってフフンとしています。

まあこれはわたしが先生と同じスピードで学習をする前提なのですが…。

 

 

ムカつく奴の話しとくわ。もうお風呂沸いちゃったので。入らなきゃ。

ムカつく奴ね、ってか怖い人の話なんですけどねこれは。

気づいちゃったんですけど…あの、自分の考えたことを疑わない人間って…怖くない?

あのね、この前上に書いた先生の授業で、監視社会の話をしていたんですよ。

「監視社会についてディスカッションしろ」って言われて、先生が否定的な意見をのべていた。

そうすると議論の方向はまあ固まってきますよね、みんなが実際どう思っていようと関係なく。

でも本当にやらなきゃいけないのって、「疑え」と言われた対象を疑うことなのかな…って。「『疑え』と言われた」ことを疑うことからスタートなんじゃないのかな。

監視社会、というか管理社会だと思いますけど、管理社会を礼賛する人と話す機会があって。

ジェンダー研究のソフィアくんには悪いし、自分の考えは危険だともおもうんだけど、マイノリティには力を与えられるべきじゃない、最大多数の最大幸福が大切。日本ももっと国民を政府が管理するべきだ。その方が楽だし、僕は幸せになりたい」みたいなこと言っていましたね…こわくない?

 

怖いねえ…怖い。「『疑え』といわれた」ことを疑わない人は、彼に成り得る可能性があるから怖いなあと思ってしまう。

見下すのもよくないので私もダメなんですけど。ね。わからないですねえ…理解できたとしたって納得はしないよ…。

 

 

ていうかね、まず自分のことをマジョリティだと信じて疑っていないのがおもしろいし、マジョリティ=利益を受け取る人間だと考えているのも面白いと思いますよ。

あと功利主義ってそういう考え方でしたっけ?あと質的功利主義と量的功利主義ってありましたよね?あんまり覚えてないんですけど覚えてます?あの?ときいたら、「そんなのあったなーって程度で口にした」と仰っていましたよ…。

 あの、無知は罪じゃないと思うんですけど皆さんはどう思いますか?

わたしは、無知は罪ではないけど、無知なことを隠して発言をすることは罪だと思います。わからないこと、語ることができないことに対しては、我々は潔く口をつぐんでおくべきなのでは? 

 

あと突っ込むとすれば、「ジェンダー研究のソフィアくんには悪い」って、悪いと思ってるわけじゃないだろうから何にも言いませんでしたけど、悪く思う必要なんてこれっぽっちもないだろ、と思って笑ってしまった。

あなたみたいな人がいるから私の研究は意味を持つんだよね、それは決してこの分野に限ったことではなくみんなそうなんだよね。この喋り方フォロワーのがうつってきてるんだよね…使い方がまだまだだって怒られそうで怖いんだよね~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

誰かが差別だと思うことを、そう思わない他の誰かに「差別だと思え」といいたいわけではない。

でもわたしがやることは、そう思わない他の誰かを説得することですからね。

他の誰かがいないなら説得する必要もない。

だから悪く思う必要は全くない。何故ならそこにあなたがいることは最初から決まっているから。

 

 

ていうかこれは驚きなんですが、彼、「門外漢」という言葉すら知らなかったみたいですよ。

「門外漢なんて初めて聞いた」って言っていましたけど本当に大丈夫か?それでいっぱしの口を利けるみたいな顔をしているの、恥ずかしくて死にたくなって来ないのかな…よかったね昨日知ることができて…わたしに感謝しなよ。

 

グッバイマイフレンズ

落ち着くために書いた

なんだか物凄く遠回りをしながら歩いてきた気がする、その道からしか見えない海も、そうやってしか登れない山もあったはずだけど。

もっと賢くなりたい、ツァラトゥストラの蛇のように完全に賢くなりたい。 

あまりにも世界には私の知らないことが多すぎる、どうして一日は24時間しかなくて私の目も腕も2つずつしかないんだろう、どうして私の頭は一つだけしかないのかな。

身体の拡張は求めていないけど。

 

監視社会、全能の監視者による統治。そう遠くない未来。

それについての授業、どこをどれほど問題視しているのか、よくわからないと思っていたけど、

先生は、わたしがジェンダーのはなしで他人に求めていることと同じことを求めていた。

でもわたしは何も知らないから、何も語ることが出来ない。諦念しかない。

わたしはもっと学ばなければならないし、考えなければならない。その先の結論を他人に求めず、己の中で見つけるしかない。可能だろうか。やるしかないけど。

議論したいけど、してくれる相手が思いつかないのも問題。いつも父親に話している。

PSYCHO-PASSに、子供は同性の親と話すことでメンタルケアされると書いてあったけど信憑性を疑っている、わたしは父にばかり色々なことを話している。

でもこれは果たして、彼が私に遺伝子を与えてくれたから話しているのかと言われれば疑問。

 

頭の中で情報も思考もとっちらかってしまっている。甘いものが飲みたい。PSYCHO-PASSの続きを読み終えたら、久しぶりにディックの本を買いたい。

フーコーをなんだかんだと言って読んでいない。大問題。

並行してジェンダーの勉強。試験勉強もそろそろ本腰を入れないとまずい。

フォロワーに送るお菓子の賞味期限もそろそろやばいと思う。どうするか考える。

 

 

 

 

人より多いか、少ないか。

昨日のブログを読んでくれた人に、「難しいこと考えてるね」「堂々巡りだね」「ホモとかレズとかって呼ばれるのを差別だー!って騒ぐ人の方がよっぽど差別をしているんじゃない?」と言われて、なんだかんだとわかってはいるもののくるものはあるなあと思いました。

発話の位置。

 

女性の権利についての話も、差別の話もそうなのですけど、わたしは何も、誰かが差別だと思うことを、他の誰かにも差別だと思えと言う訳では無いし、

わたしが思う女性の権利を手に入れる生き方が、他の誰かに馬鹿らしいと嘲笑われても、一向に構わないと思います。

ただ、そこにはきちんと理由があって欲しい。社会のこと、自分のことをきちんと見定めて、考えて考えて考え抜いてその結論に至るなら、の話です。

 

わたしは、おそらく今のところ、「強制異性愛者」で、

どこまで行っても、この異性愛者中心の社会に、男性中心社会に育てられた「わたし」を捨てることは出来ないし、克服することも完全にはできません。

でも、社会を作っているのがわたしたちなら、いつか、「わたし」のいない社会が作れるのかもしれないなら、そのために、努力することはできます。

「わたし」がだめでも、わたしが研究したことが、わたしとの対話を通して誰かを変えるかもしれない。

「わたし」は社会に作られていますけど、社会を作っているのもまた、「わたし」たちでしかないから。

「わたし」はそれを見ることが出来ないけど、わたしの子孫がその社会を生きていけるかもしれない。

この考えが思い浮かんでハッ、としたんですけど、わたし、『ツァラトゥストラはかく語りき』が好きで、その中の一節を手帳に書き留めたりしているんです。

私のこの考え方は、『ツァラトゥストラはかく語りき』にでてくる超人の話に似ているな、と思って。

 

 

ツァラトゥストラ(上) (光文社古典新訳文庫)

ツァラトゥストラ(上) (光文社古典新訳文庫)

 

 

 


「超人を創造するのは、兄弟よ、もしかしたら君たちにはできないかもしれない。しかし、超人の父親や祖先になら、きみたちも、自分を改造すれば、なれるかもしれない。君たちにはそれが最高の創造だと考えればいい。」

 

 

わたしが目指した社会に育てられた人間を「超人」と呼ぶなら、わたしにとっての「最高の創造」は、その社会の礎を築くことなんでしょうね。

 

こうやって思うと、わたしの思想の根底にはやはり、ニーチェやらカミュやら、私が書きとめておこうとした言葉達がきちんと存在していました。

いや、まあなにかしら共鳴するものがあったから書き留めたのですけど。

 

紹介してもいいかな、と思ったけどたぶん書いてもなんのこっちゃだと思いますのでさっきのでやめておきます。

読んでください。それで、あなたがいいなと思った言葉はきちんととっておいてください。

 

この研究をやるにあたって、差別を見たくない、差別をなくしたいと願いながら、その実わたしがいちばんその差別をして、引き受けていかなければならないことも、

この道を選べば、わたしは自分の価値観を壊して、他人の価値観を揺さぶっていかなければならないことも理解していて。

人も社会も、そう簡単に変えられるものでないことはわかりきっていて。

それでもそれをやりたい、やるしかないのだと思っ

ているから、たとえ自分が最もやりたくないことをやらなければならないとしても、目を背けたくないから。

だからこんなに言葉を尽くして、向き合おうと思って覚悟を決めてるところなんですよ今。

カリギュラにも、ツァラトゥストラにも、公安警察でありながら黒の組織の幹部として暗躍しているわたしの大好きな降谷零にも、(これはミュージカルの話ですけど)刀でありながら戦のない世の中を見たいと言った旦那である大倶利伽羅くんにも、わたしは胸を張れる人間でいたいからさあ!

推しに生かされてる〜あ〜好きだ〜みんな〜〜〜好きだよ〜〜〜!とりあえず今日もあと少し論文がんばります!!!!!!

 

 

 

 

引用やめるって言ったけど最後に一つだけ、最後というか最初にこの一節の一部(??)を引用しましたけど。わたしは手帳をひらいて、何ヶ月か前の自分がこれを書いておいてくれたことに何度も感謝している。

 

アルベール・カミュ (1) カリギュラ (ハヤカワ演劇文庫 18)

アルベール・カミュ (1) カリギュラ (ハヤカワ演劇文庫 18)

 

カリギュラ、お前も、お前も罪がある。人より多いか、少ないか。それだけの違いだ」